小沢剛 – 帰ってきたシリーズ –

INFORMATION

歴史上の実在する人物を題材に、事実とフィクションを重ね合わせて物語を構築するインスタレー ション「帰って来た」シリーズは、野口英世をモデルに福島とガーナを結んだ「帰って来た Dr.N」(2013 年)、藤田嗣治をモデルに従軍画家の生涯をインドネシアで描いた「帰って来たペインターF」(2015 年)、ジョン・レノンを題材にフィリピンを舞台に制作された「帰って来た J.L.」(2016 年)、岡倉覚三をテーマに、ゆかりのあるインドで制作された「帰って来た K.T.O」、弘前ゆかりの近現代の⼈物「S.T.」を題材とした、イランの看板職⼈やミュージシャンらの協⼒を得て制作された「帰ってきたS.T.」(2020年)があります。

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WORKS

Ozawa Tsuyoshi
Dr. N Song
2013
6 drawings 29 x 24cm, Video (Blu-ray, DVD, HDD), 5’54”
In Ozawa’s installation piece The Return of Dr. N, Ozawa features Hideyo Noguchi (1872-1928), a bacteriologist who is known as the face on the Japanese ¥1000 bill. Noguchi was born in Fukushima, the town that recently gained international recognition as the land devastated by the 2011 nuclear catastrophe.
The creation of The Return of Dr. N lead Ozawa to Ghana, Africa, the land where Noguchi himself traveled to in order to study Yellow Fever, which also was the disease that subsequently took Noguchi’s life. Noguchi, despite suffering severe burns to the left hand at a young age, attained critical acclaim and international recognition through perseverance in his work, but was also subject to scrutiny for his occasional recklessness in his research and experimentation. Ozawa traced the footsteps of Noguchi in Ghana.
Blending fictional aspects and a personal take on Noguchi’s life, Ozawa created Dr. N, a reckless yet witty character whose livelihood extends between Japan and Africa. The life story of Dr. N, conjured by Ozawa, is depicted through the style seen on billboard paintings in the streets in Africa, which are created by artists in Ghana, based off of Ozawa’s drawings. Also to be presented is a transnational musical collaboration in the form of a song about Noguchi’s life, improvised and written by a Ghanaian musician, accompanied by a choir from Fukushima that sings the chorus section.
The installation, The Return of Dr. N consists of 8 canvases (250cm x 150cm each) and a video of the musical collaboration of the story of Dr. N. Ozawa connects two distant communities by channeling the footsteps of Noguchi. It is an attempt to present an alternative viewpoint to various unyielding issues and problems through art and societal involvement. His installation is created through the collaborative effort of locals in these two distant communities of Ghana and Japan.
The Return of Dr. N is also an artist questioning his role in facing the realities of Fukushima post the Great East Japan Earthquake in 2011. This piece invites the audience to see the past and present by fusing historical facts and fiction. It brings the viewer on a journey to witness Ghana, and Japan, and ultimately contemplate what Fukushima is today.
The Return of Dr.N was exhibited at Yokohama Creativecity Center, May 25 – June 9, 2013, in conjunction with the 5th Tokyo International Conference on African Development.
Ozawa Tsuyoshi
Painter F Song
2015
4 K video, 12’08”
Edition 3
戦争中にインドネシアで従軍した架空の日本人画家「ペインターF」の戦前から戦後の生きざまを物語にした絵画と映像作品です。インドネシアでは日本軍の占領下だった 1943 年に、現地の住民への宣撫活動を目的として文化施設が設けられました。そこでは現地住民への美術教育が行われ、戦後のインドネシア画壇にいくばくかの影響を与えたのではないかともいわれています。
本展の物語作りは、実在した従軍画家たちをリサーチすることから始めました。残されている記録や研究をもとに、日本人の一方的な考えでなく、インドネシアの美術史家、ペインター、ミュージシャンらと複眼的な対話を重ね、今回は物語を作るところから作品制作まで全て彼らと共同で制作しています。
戦争中のように、考え方がひとつの方向に進んでいかざるを得ないときの「ペインターF」の身の置き方、また戦後価値観がガラリと変わってしまったなかでの「ペインターF」の生き方を、多様な価値観のなかで生きる現代の我々と照らし合わせてみることができるのではないでしょうか。また、グローバル化が進む時代に、インドネシアと日本に生きる者たちが相互的視野のもと歴史を振り返り、ありえたかもしれな い過去を想像して作品をつくる行為は、他者に対する知識を深め、未来の新たな創造と関係性への呼びかけとなるのではないでしょうか。
(資生堂ギャラリー プレスリリースから引用)
Ozawa Tsuyoshi
The Return of J.L. Song
2016
8 paintings 150 x 250 cm, 1 drawing 52 x 51.5 cm, 4K Video 9’32”
岡倉覚三(号は天心)は 1863 年に横浜で生まれ、急激な西洋化が進む明治時代、近代日本美術の 発展に大きな功績を残した、美術史家・思想家です。日本画改革運動や、東京美術学校の創立に 従事し、後にボストン美術館の中国・日本美術部長に就任、日本美術を欧米に紹介するなど国際的 に活動をしました。

岡倉は 1901 年にインドに渡り、コルカタで詩人ラビンドラナート・タゴールと親交を深めます。イ ンドから帰国後には茨城県五浦に魅了され、五浦に邸宅と六角堂を建築しました。その後 1912 年に再 度インドを訪れた際には、詩人プリヤンバダ・デーヴィー・バネルジーと出会い、岡倉が亡くなる まで文通を交わしました。小沢はコルカタを訪れ岡倉の足跡をたどり、近未来に岡倉が帰ってくると想 定した物語を小沢のドローイングを元に現地の看板画家が描いたペインティングと現地ミュージシ ャンが歌う映像で表現します。

本作品の制作にも協力をしたインド在住の演出家・作家・評論家のムストム・バルチャーは次のように述べています。

「岡倉スピリットがおそらく色濃く残っているカルカッタで《帰って来た K.T.O》の制作を推進し つつ、われわれは、そもそも「帰って来た小沢剛」を期待してよいのだろうか?あるいは、小沢は、 岡倉のように、世界の美術界の儚い熱狂の渦中を彷徨うのであろうか?アクラやジョグジャカルタ、 マニラ、カルカッタやその他で活動する絵看板職人や地元のミュージシャンのような芸術家たちが 出会い、コスモポリタンな結束を新たになしえるような、場、歴史そして文化を超えた果敢な異文 化プロジェクト。そうしたプロジェクトを、もっと数多く思い描くにはどうしたらよいのだろうか? こんな問いは奇抜な思いつきのように聞こえるかもしれない。しかし。そもそも《帰って来た K.T.O》 はそんな想像を人に抱かせる作品なのである。」

「帰って来た K.T.O.」は 8 枚のペインティング、ビデオ、ペインティングの元になった小沢による ドローイング 8 点から構成されます。
Ozawa Tsuyoshi
The Return of K.T.O.
2017
8 paintings 150 x 250 cm, 8 drawings 18.5 x 25 cm, 1 Video 11’31”
「帰って来たJ.L.」は、死して100年後の2080年に蘇ったジョン・レノン(J.L.)の人生をテーマに8枚のペインティングとビデオ作品からなります。ペインティングは、マニラのサミットという家族が経営する看板屋の職人とともに描き、歌の歌詞は小沢夫婦の合作に、そして曲作りはフィリピンのミュージシャン、テレサ・バロゾと協力して行いました。この歌は、ビートルズの曲の構造をもとにして書かれており、ネス・ロケ・ルムレスが小沢の歌詞をフィリピン語に翻訳し、そして、バリカタン視覚障害者協同組合に所属する盲目のミュージシャン4人が歌い演奏しています。この4人のバンド名を決めるにあたり、彼らから出てきた案のひとつに「ビジョン」というものがありました。視覚的な意味と、ポジティブな未来を指し示すものとして、小沢はバント名を「ザ・ビジョンズ」としています。

「帰って来たJ.L.」ついて、フィリピン大学美術学部教授、ヴァルガス美術館(マニラ)キュレーター、ナショナル・ギャラリー・兼任キュレーターのパトリック・D・フローレスは、こう述べています。

「J.L.は、フィリピンと日本の両国を、政治的に主観性を形成していった場所としてとらえなおしている。これはまったく異種のものの介入から変容していった、いくつもの層からなる「翻訳」である。このような入り組んだ密度の濃い関係の網によって、この作品は複雑なものになっている。そして「復活」への願いが、ノスタルジックなディテールではなく、共感を寄せる心の表明によって彩られているのだ。この「復活」のパフォーマンスには寂しさが漂っている。また、日本人アーティストの創造力に答えたいと思うフィリピン側の同じくらいの努力も感じられる。そしてすべてはJ.L.という人物によって表現され、そしてまた彼によって回収されていくのだ。こんなメランコリーの表現が他にあるだろうか。象徴的な人物を登場させ、舞台を変え、そしてなにかが失われている、そんなメランコリーの表現が。」

小沢の歌詞には、「理想の世界を夢見る男」、「なんどでも蘇る男」というフレーズがリフレインされています。この作品では、実現が不可能かもしれない「理想の世界を夢見る男」であり、そのために「なんどでも蘇る男」の物語が、事実とフィクションと様々な人々とのコラボーレションによって語られています。
Ozawa Tsuyoshi
S.T. Song
2020
Video 11'53"
Edition 3
弘前とイランを結ぶシリーズ最新作。2020年1月に起こった米国によるイラン軍事司令官殺害を起因として緊張が高まり、イランへの渡航が禁止となったほか、一旦解除された制限が新型コロナウイルスの影響で再び渡航禁止となるなど、世界状況に翻弄された制作であった。そのため寺山が演劇祭に参加した街シーラーズでの撮影は断念せざるを得なかった。二度のイランリサーチにより、信頼関係を築いた「オターグ・バンド」のメンバーをはじめ、画家のヘッダッド、リモートでの撮影をサポートしたイランの映像チーム、ぎりぎりの中で機知に富んだ手配をしてくれたコーディネーターの清水恵美など多くの人のサポートと連携によって、奇跡的に完成にこぎつけた。小山内薫の津軽三味線がオターグの奏でるエレクトリック・サウンドと融合し、両国の風景を結ぶ。(作家HPから引用)
2022-09-07|
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