Isozaki Arata 磯崎 新
PROCESS 過程
Date:Friday, September 9 – Saturday, November 12, 2011
PRESS RELEASE
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磯崎新は、その建築のみならず活発な評論活動、芸術文化活動においても広く知られています。本展では磯崎の半世紀にわたるキャリアのもっとも初期の段階である1960年から64年という時代において形成され、以後の磯崎の制作活動の根幹をなす「過程 PROCESS」というコンセプトに焦点をあて、思想の生成、美術とのかかわり、今でも終わることのない過程である磯崎の原点を探ります。
1960年には、アートではネオダダ・オルガナイザーズ、また建築ではメタボリズムと2つの重要なアバンギャルドムーブメントが起こりました。従来の絵の具やキャンバスに代わって、それらの作品群は、日常雑貨と廃品回収所からのオブジェで埋めつくされていました。当時、芸術、展覧会、建築、メディア等が組み立てて来た制度が生み出した価値基準が崩れ始め、そして彼らの間で共通していたのは、行きつくところまで崩してしまえという認識でした。
滝口修造がゲストエディターとなって発行された「美術手帖」の特別号「現代のイメージ」(1962年4月号臨時増刊)のために、磯崎はギリシャ神殿の廃墟に未来都市構想としての「ジョイント・コア・システム」をコラージュした作品を制作し、「孵化過程」と題した詩文とともに発表します。
未来都市と廃墟のイメージのコラージュ作品は、メタボリストによって開催された「未来の都市と生活」展(西武百貨店1962年)に出品を要請されますが、廃墟は展覧会のテーマである「すばらしい未来の生活」とはそぐわないとして、企画をした川添登によっていったん展示を拒否されます。「『未来都市は廃墟だ』と記すのは当時では美術の文脈のみに許されることであって、建築的な言説では拒否され無視されることであるのは分かっていた。それは自分が、建築や都市を美術のコンテキストで思考していたからだと言える」と、後に磯崎は語っています。結局、菊竹清訓や黒川紀章の取りなしで展示されるに至りますが、その時にコラージュとともに発表した作品、「孵化過程=ジョイント・コア・システム」は、1962年当時の東京の写真をキャンバスに見立てて、その上に「不確定な他者の介入によって発生する都市の生成がアクションペインティングでシュミレーションされる」という、世界で初めて他者としてのオーディエンスの自発的な参加による作品でした。
磯崎にとっての都市とは、予定調和的に出来上がるものではなく、常に変動のプロセスにあり、完成した姿を見せることがないもの。磯崎の建築において重要な概念となっている「プロセスプランニング」は都市のデザインを構想している中で着想されたものです。
「建築とは、不確実で決定が不可能な条件下で、デザインを進行させることであり、想像の中では、有機物のように伸縮している。それをある瞬間にぶった切らねばならない。デザインの決定とはそんなものだと考えた。するとその切断面に伸縮する全過程が露出する。」 こうした意味では、メタボリズムと時期を同じにしながらも、思想的、手法的に、磯崎の建築は異質なものとして存在することになります。
本展では、1960年から64年までの磯崎の最初の思考のエッセンスともいえるコラージュを元にしたエッチング作品6点および、1997年に水戸芸術館の展覧会「日本の夏1960-64こうなったらやけくそだ!」ではじまり、本展初日のパフォーマンスで完成することになる「孵化過程=ジョイント・コア・システム」、さらに思考の変遷を経て生み出された傑作、1968年「再び廃墟になったヒロシマ」の大型シルクスクリーンプリントを展示いたします。どうぞ、ご期待ください。
磯崎 新
1931年大分市生まれ。1954年東京大学工学部建築学科卒業。1963年磯崎新アトリエを設立、現在に至る。大分県立中央図書館をはじめ、60年代に大分市に集中して実現された建築群から、90年代の国内外各地、バルセロナ、オーランド、クラコフ、岡山県奈義町、京都、奈良、ラ・コルーニャ、山口県秋吉台、ベルリンなど、そして今世紀に入り、中東、中国、中央アジアをはじめとする数多くの最新作まで、どの思想領域にも属さない個人的な思考と空間の展開でありながら、政治・社会・文化に他のどの建築家よりも深く觝触しつつ、それを建築において開示してきた。すなわち建築がその始源からもつ潜在力をとり出してみせることで、他領域の知に対しても大きな影響を与えてきた。また評論や設計競技の審査を通じて、世界のラディカルな建築家たちの発想を実現に導くうえでのはかり知れない支援を果たした。半世紀を越えるその活動は、思想、美術、デザイン、音楽、映画、演劇など常に建築の枠組みを超えて、時代や他領域を交錯する問題提起を生み出している。